生きる意味を聞かれるたびに精神科医として思うこと
「死にたい」と聞くと、世間の人たちはもしかしたら「そんなことを言うもんじゃない」「命を大切に」なんて問答無用に怒るのかもしれません
しかし、病気でなくても死にたいという感情が生じる事は当然ありますし、その「死にたい」だってよくよく聞けば「生きているのがしんどい」であったり「生きている理由がわからない」であったり「逃げたい」であったり様々で、枠にはめられるものではなかったりします。
今日のメルマガでは、「生きている理由」を見失った時は他人がどういうかではなく、この文章を思い出して欲しいなと思い過去「いのちの電話協会」に寄稿させていただいた文章を再掲します。読んだことのある方もいるかもしれませんがぜひ、今一度目を通してみて欲しいなと思います。
このレターでは、メンタルヘルスの話に興味がある、自分や大切な人が心の問題で悩んでいる、そんな人たちがわかりやすく正しい知識を得ていってもらえるよう、精神科専門医、公認心理師の藤野がゆるくお届けしていきます。是非是非登録して読んでみてください。
誰にも誇らない人生を
精神科医という仕事をしていると「生きている理由がない」という人によく出逢います。
現代ではインターネットやメディアを通じて大層立派な人生を歩んでいる人たちの話が多く飛び込んでくるので、つい生きるのには大きな理由が必要なのではないかと考えてしまいます。
しかし、こんなことを精神科医が言って良いのかと思われるかもしれませんが、私は別に生きる理由なんてなんでもよいのではないかと思っています。